ばあちゃん家暮らし

空き家になっているばあちゃん家で、豊かでていねいな暮らしを目指したまいにちのきおく。

86日目

ばあちゃん家暮らし86日目

 

朝食 白米 納豆 昆布巻き

昼食 白米 味噌汁 煮しめ りんご

夕食 白米 フグの味噌汁 根菜の山芋掛け焼き

 

今日も無事にクラスを回すことができた。

やっとのことで5連勤を終える。疲れたが、そこまでひどい疲労感は感じていなかった。主の先生と話すことが疲れるからかもしれないし、急がせるように声かけされることが多いので、毎回声をかけられるとドキドキする。また、しようと思っていたのに声かけられるとイラッとくる。

1、2年前に比べるとなんだか怒りっぽくなってしまった。肉を食べなければ穏やかな性格になるのではと思っていたがそうでもなかったようだ。

 

とても賢くて経験豊富で、頭の回転が速い先生なので、何かを言われるとわたし自身の考えが甘いか、瞬時に判断できていないかということを思い知らされているようで惨めな気持ちになる。言われないことが良いことだと思っている自分がいる。

一方で、何かを言われるということはまだ改善の余地があり、期待されているということだと先輩先生方はいう。なるほど、そういった考え方もできるのか。

 

本当は子どものためにじっくり関わり、待ってあげたいのだ。しかし、集団の保育の中ではそうはいかない。1対6の配置では1人の子どもと浅くしか関われない。一人きになる子がおり目が離せない場合は、他の子を見ることが疎かになってしまう。結果、一人を目を離せないまま、他の子と関わろうにもその一人を忘れて心の底から笑うことはできない。また、そこでの関わりで保育者への訴えかけや、小さな呟を聞き逃してしまうこともある。その一人は手厚く保育されているからいいものの、他の子はどうなのか。

 

先日、園長が会議の中で「子どもの最善の利益を考えて保育して欲しい。」といっていた。

制約がある中で保育している私たちだが、果たしてこれが子どもたちへの最善の利益なのだろうか。一人一人がもっと子どものことを考え、思っていることを声として上げていくべきなのではないだろうか。しかし、それができないのは疲労しきってしまった体で家族を支えながら仕事に追われる毎日を過ごしている現状があるからだ。

保育士の待遇をもっと考えて欲しい。