ばあちゃん家暮らし

空き家になっているばあちゃん家で、豊かでていねいな暮らしを目指したまいにちのきおく。

20日目

ばあちゃん家暮らし20日目

 

朝食:生姜玄米 ひじき煮物 梅干し

昼食:生姜玄米チャーハン

夕食:お好み焼き 甘酒ケーキ

 

午前中に中畑を見回る。里芋が枯れかけている。もうすぐ収穫かな。さつまいもは少しずつだがつるを伸ばして成長中。

 

荒れ放題だった夏畑に種下ろし。土が乾燥して苦しそうだったので表面に腐葉土を少し混ぜる。にんにく、本金時豆(時期外れだが成長するか見てみたいので)、白菜、ごぼう、人参、水菜の種下ろしをする。

本金時豆は台風で壊滅状態だったが、3莢を収穫することができた。莢から顔を出す姿がかわいい。

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 あずきも小さいながら実をつけていた。

 

ばあちゃん家に友人を呼んでお好み焼き会をする。友人らはこの家に女性一人暮らしは怖いそうだ。

実家暮らしの女性は、日頃料理をほとんどしていない人がいることを知った。結婚に踏み切れないのは、出会いがないということもあるが、料理などに不安がある人も少なからずいる。出汁の取り方、大豆の戻し方仕方、えびの背わたの取り方など、普段何気なく料理の下ごしらえをしているが、それさえも知らなかったという。

仕事をしている身近な女性たちや、一人暮らしを始めた学生などに、料理のいろはを伝えていけたらいいなと思う。料理のいろはがわかれば、視野が広がり、きっと料理が楽しくなってくると思う。

 

ばあちゃん家の柿を始めて食べてみるが、かなり甘い。小さな木だけれども立派に育っていたのだなあと実感。

桃栗三年柿八年。

何事も成し遂げるまでには相応の年月がかかるということだ。

この慣用句は最低でもその年月は必要であるということであり、成し遂げる年月ではない。この場合、成し遂げるとは実がつき、食すことができる年月だと思う。

 

しかし、その実が美味しいとは限らない。食べられそうにないもの、渋いものもあるかもしれない。

 

物事も同じ。成し遂げることが完璧であり、これ以上ないということはない。完璧という基準は人によって異なるし、完璧を作ることで終わりをつくり何もかもが途切れてしまうからである。物事を成し遂げる、完璧だという捉え方ではなく、「休息をとっている」と思いたいものだ。そうすることで、心の片隅に残り、長い休息から目覚めたとしても再び思考することができる。

 

ものは考えようである。人は知らず知らずのうちに、自己暗示し、自分のいいように解釈し捉えようとしている。それは、同時に可能性をも狭めていることになる。

 

 

物事に完璧はないので、果たしてこれでいいのだろうかと考え、客観的な広い視点を持って暮らしていきたいと思う。